わが国にスポーツとしてのダイビングが取り入れられるようになったきっかけは、1917(大正6)年に東京神田のYMCAに室内プールが建設されたことによる。
プール建設当初は、ダイビング施設はなかったが、後に来日したアメリカのスポーツコーチ、エディー・ブラウン氏の手により、ダイビング施設が設けられ利用されるようになった。
YMCAにダイビング施設と指導者が揃うと、体操やトランポリンなどのスポーツ愛好家が集まるようになり、やがてダイビング同好会の発足にまで至った。これが、日本における近代ダイビングの発祥である。
一方、日本古来の日本泳法にもダイビングはあった。1898(明治31)年、日本泳法の水府流太田派と外国人の対抗試合が横浜外人水泳場で行われ、試合後、模範演技としてダイビングが行われたと記録されている。
競技会は1922(大正11)年、YMCAのプールで9名の選手によって1mの飛板飛込みを競い合ったのが、日本における最初の競技会である。
日本の国際大会への参加は、1923(大正12)年、日本で2回目の水泳競技極東大会が大阪で開催されたとき、フィリピンのダイバーであるカルボ選手が競泳選手と共に来日したことによる。これが、日本のダイビングの国際大会への初の参加であった。競技は1mの飛板飛込みであった。
その後、日本のダイバーがオリンピックに参加したのは、正式には1928(昭和3)年の第9回アムステルダム大会が最初である。